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2008年 07月 01日
◎2335追記:雷句先生のブログが更新されていますね。
さて、更新です。(遅れました) http://88552772.at.webry.info/200807/article_1.html 「凄い編集さん」ってどなたかなぁ? ========== 6月30日に発売された「BUBKA」2008年8月号(コアマガジン、特別定価450円(税抜429円))30頁の下半分(BUBKA NEWS!! NO.009)で、今回のサンデー問題が記事になっています。また、83~85頁に松永豊和先生のインタビューが掲載されています。 http://www.coremagazine.co.jp/bubka/new/new.html 註:「BUBKA」はいろいろと大人向けの雑誌なので、店頭で売られる際には青いテープでページが閉じられ、立ち読みができないようになっています。また、雑誌の表紙にいろいろ煽情的なコピーが並ぶので、表紙画像の紹介は今回はなしということにします。ご了承ください。 ◎1306追記:同誌124~125頁で真樹日佐夫先生もこの問題に触れておられました。その部分を抜粋して記事末尾に添えました。 目次では記事のタイトルが「小学館漫画編集部にマンガ家が大反撃」となっていますが、実際には「傲慢な小学館漫画編集部に人気マンガ家達が反撃!」となっています。柱書には「原稿紛失とヒドい言動にマンガ家が提訴!」と。 肝心の記事ですが、まずこの問題を紹介し、流れを説明しつつ「マンガ誌編集者」がコメントを加える、という形式です。この間出た「週刊新潮」の記事のパロディのようになっていて、ニヤリとさせられます(故意か偶然かは分かりません)。 実際の記事には特に新しい情報はありませんが、雷句先生の提訴から小学館が読者へのコメントを出すまでの事態の推移をポイントを掴んで整理してあります。 記事の冒頭では、小学館・週刊少年サンデーの最近の話題(『犬夜叉』の連載終了・ユニクロとのコラボレーションTシャツ)に触れつつ、 ========== ただ、悲しいかな最近のホットな話題といえば、雷句誠氏との訴訟騒動だろう。 ========== とこの問題に触れてきます。次に雷句先生を簡潔に紹介した後: ========== そんな雷句氏が、どうして小学館と裁判を起こしたのか? 「詳細は雷句先生のブログに書いてありますが、以前から小学館の無礼な振る舞いに怒り心頭だった先生は、作品を楽しみにしている読者のためだけにガマンして連載を続けてきた。ところが、ようやく連載が終了したところで、小学館が大切な原稿を紛失してしまったんです」(マンガ誌編集者) 雷句氏のブログでは、少年サンデー編集部がマンガ家を「死ね! 三流マンガ家」と罵倒したなどと、その傍若無人ぶりが書き連ねられている。そして、その雷句氏の告発に触発されたのか、人気少女マンガ『快感フレーズ』(小学館の『少女コミック』連載)の作者である新條まゆ氏までもが、ブログで小学館の編集者の信じられない行状(「他社で描くなら小学館の単行本は絶版」と宣言された等)を告白。彼女もまた、大ヒットを飛ばしておきながら小学館から他社へ移籍した漫画家のひとりだ。当初は雷句氏の被害妄想なのではという見方もあったが、この発言ですっかり小学館の旗色が悪くなってしまった。 ========== 「少年サンデー編集部がマンガ家を『死ね! 三流マンガ家』と罵倒した」 という部分は、雷句先生のブログ「雷句誠の今日このごろ。 」に掲載されている陳述書(の、7 小学館に対して思うこと(1)の第3段落)にあります。(下記の引用では改行位置を変更してあります) (株)小学館を提訴。 http://88552772.at.webry.info/200806/article_2.html (この記事に陳述書が掲載されています) =================== いつから漫画雑誌に取っての漫画家はここまで馬鹿にされる様になったのか? 高島雅氏の話の時にでた冠茂氏という編集者は私のアシスタントをしてくれていた酒井ようへい先生の担当編集で、 冠茂氏の言う通り描かされ、 酒井先生が、自分の描きたくないストーリー展開に抵抗すれば、 「死ね!3流漫画家!」と、 作画中に電話で罵倒され、(後略) =================== また、「他社で描くなら小学館の単行本は絶版」というセリフは、新條先生のブログ「まゆたんブログ」のこの記事(の第3段落冒頭)にあります。 思うこと。 http://blog.mayutan.com/archives/51397618.html =================== 悩んで、悩んで、小学館を離れる決心をしました。 それを担当に告げると、 「だったら、いままでの出版物を全部絶版にする!」と言うので、 驚いて、「脅すんですか?」と言ったところ 「脅してるのはそっちでしょ!!」と言われてしまいました。 =================== 上記記事中の「当初は雷句氏の被害妄想なのではという見方もあったが、この発言ですっかり小学館の旗色が悪くなってしまった」とあるのは、かなり正確であるように思えます。記事は再度「マンガ誌編集者」のコメントを載せ、次のように締め括っています。 ========== 「元々、業界では小学館の酷さは有名でした。例えば楳図かずお先生がマンガを描かなくなったのも、小学館の編集が無礼な発言をしたからだと噂されています。そんな調子で、これまでも数多くの人気作家を他誌に流出させてきました。漫画家をバカにしてるんじゃないですか?」(前出・マンガ誌編集者) 業界内からも、次々と湧き出てくる告発の声。現在のところ、小学館を擁護する声は非常に少ない。これまでは無視を決め込んでいた小学館も(雷句氏に対してではなく)読者への謝罪文を発表するなどしてきたが、後手後手な印象は拭えない。さて裁判では一体、どんな言い分を聞かせてくれるのか? 草葉の陰で小学館マンガ中興の祖、藤子・F・不二雄先生も泣いていることだろう。 ========== 楳図かずお先生のエピソードは本物です。Wikiさんから引用しておきます。 楳図かずお http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A5%B3%E5%9B%B3%E3%81%8B%E3%81%9A%E3%81%8A =================== 休筆 1995年に完結した『14歳』以後、漫画は休筆中。 理由には長年の執筆による腱鞘炎が悪化したことと、 「14歳」連載時、新任編集者に、ゲンコツを描いた紙を持ってこられ 「手はこう描くんですよ」と言われたことから始まる 小学館との関係の悪化が挙げられる。 1971年『 おろち』執筆以降、 小学館の諸雑誌を主たる発表の場としてきた楳図にとって、 こうした扱いは屈辱的なものであったと想像できる。 楳図はこの事件を単に新任編集者一人の性格の問題とは見ず、 芸術志向の作品を描いてきた自分に対する、 出版社の商業主義的な圧力と見てとったようである[1]。 脚注 1.「いつみても波瀾万丈」2002年3月10日放送 =================== (なお、Wikiは誰でも編集できるため、内容が改変される場合があります。ページ上部の「履歴」のタブをクリックすると、編集の履歴を見ることが出来ます) 小学館の出した文は次の箇所にあります。 読者の皆様へ http://websunday.net/toreaders.html 記事で触れられているように、業界内から次々と実情のが寄せられるのに対して、小学館を擁護する声は非常に少ない……というより、なきに等しいです。まともに筋が通った擁護をしている方は寡聞にして存じ上げません。(原稿紛失を「その程度の問題」で済ませる自称漫画家さんのブログはありましたが……) 「雷句誠小学館を提訴まとめ」さん http://syougakukan.blog19.fc2.com/ に寄せられている情報を丹念にたどっていくと、この問題が雷句先生対編集さんだけの問題ではないことを強く意識せざるを得ないように思われます。 なお、記事でコメントをしている「マンガ誌編集者」なんですが、次の掲示板・HPの中身も示唆に富みます。 あの「松永豊和」の掲示板 http://8213.teacup.com/monene39/bbs あの松永豊和は今 http://book.geocities.jp/monene39/index.html このコンテンツのひとつ「邪宗まんが道」 http://book.geocities.jp/monene39/novelmangamiti.html は凄いの一言です。長いのですが、ご一読をぜひぜひお勧めします。 そして、83~85頁にその松永豊和先生のインタビューが載っています。(松永先生は、『バクネヤング』などで有名な方です。)こちらでは、松永先生の生々しい体験が披露されています。そして、インタビューでは当然、サンデー問題にも触れてあります。その部分を引用させていただきます。インタビュアーは島田文昭さん。 ========== 本誌編集者:「(前略)松永さんが『邪宗~』を発表したのとほぼ同時に、『少年サンデー』で連載されていた雷句誠さんが訴訟を起こしたじゃないですか。それに呼応して新條まゆさんもブログ上に『私も実は~』という文章をアップしました。一度にこういう訴えが噴出したことについて、松永さんはどう思われますか?」 松永 (少し考えて)運命、だと思いましたね。ぼくが『邪宗~』を書きはじめたのは2004年の10月やったんです。それで第一稿を05年の5月に書き上げてるんです。普通は、その時点でネットなりなんなりに発表しますよね。でも、そうしなかった。なぜ08年まで待ったかというと、それは占い師に言われたからなんですよ。 ――占い師、ですか? 松永 63、4歳くらいのオバチャンでした。大阪で道を歩いてたら、向こうから声、かけてきたんです。「あなたね、いまから3年は作品を発表しちゃだめよ。」作品だけじゃないんですよ。引っ越しもしたらあかん、飛行機も乗ったらあかん、恋愛もしたらあかん。「結婚なんて、絶対あかんから」。もう無茶苦茶言うんですよ。 ――そんな……よく信じましたね。 松永 オバチャンの言うとおり、その直後からスランプが来たから、ということもありますね。「あんた、いまからアカンようになるよ。仕事も来ぃへんようになるよ」って言われて、来たらどうするんですか?とこちらも言い返すじゃないですか。そしたらオバサンは「来たら来たで、ええんちゃう」。じゃあ、そのときは受けてもいいんですね?「うん! ……でも来ぃへんけどな」(笑)。そしたらほんまに3年間、1本も来ぃへんかった。 ――…… 松永 それからおそろしくなって、08年までぼくはずっと黙ってたわけですよ。ほんで08年になってホームページを立ち上げました、5月に『邪宗~』をアップしました、そしたら、このタイミングですよ。だから雷句さんの問題が起きたときにね、怒りと同時に笑いましたね。あ、こういうことやったんや、と。ぼくがひとりで『邪宗~』を書いたとしても、被害妄想で終わるんですよ。雷句さんがひとりで訴訟を起こしても、新條さんがひとりでブログに書いても、被害妄想で終わるんですよ。3人がまとまったからこそ真実になるんですよ。そのタイミングは、だいぶ前から決まってたんです。ぼく個人的には397;。 ――松永さんが『邪宗~』の中で《上から目線の言い草》と描写していた編集者が、雷句さんのブログでは、常に《喧嘩を売る態度》だったと書かれていたのには笑いました。マンガ家にガンを飛ばす編集者なんているはずない!という論調だったネット書き込みも、あれで一変しましたよね。(後略) ========== P.S. 30頁の記事の脇にガッシュ31巻の表紙が紹介されています。……(「祝! 連載300回突破!」の文字が切ないです……) P.P.S. 同誌124~125頁の連載「マッキーにおまかせ!」で、作家・劇画原作者として有名な真樹日佐夫先生(故・梶原一騎先生の実弟)も、サンデー問題にコメントをしておられます。聞き手の吉田豪さんからこの問題を紹介された真樹先生。当初は辛口の批判から入りつつ…… ========== ◎真樹 ……そいつは小学館で世に出してもらったわけじゃないのか? だったらいろいろ、それまでの人間的なつながりがあるわけだろ。 ――それって、漫画誌で編集者とのお付き合いもあった真樹先生はどう思われますかね? ◎真樹 俺も原稿なくされたことあるよ。 ――あ、そうなんですか! ◎真樹 一峰大二さんが、俺の『プロレス悪役シリーズ』の原作を1回なくしちゃってな。 ――ああ、はいはい。絶対怒られると思って覚悟して言ったら【原文ママ】……っていうヤツですね。 ◎真樹 うん。それで俺が「いいから来い」って銀座に呼び出して、 彼が周りからもいろいろ言われたらしくて 固まった顔して来て恐縮してるんで1杯飲ませて、 「もう1回書き直せばいいじゃねえか」 って言ったんだけどさ。 ――真樹先生の原稿紛失は怖すぎますよ(笑)。 ◎真樹 だけど、そんなもん、もう1回やり直しゃいいじゃねえか。 しんどいのはしんどいけどさ。 同じことやるのはホントに…… あとでもう1回やり直してみてつくづくわかったよ。 新しいもの書くほうがよっぽど楽だよ。 ========== ついホンネをポロっと漏らしておられます(笑)。それにしても、真樹先生に呼び出された一峰先生の心中を思うと……多分、真樹先生は一峰先生の様子をじっと観察しておられて、その結果、穏便に済まされたのではないかと思われます。 話はこの後、梶原先生の時代だと原作原稿は帰ってこないのが当たり前だったという話になり…… ========== ◎真樹 (略)だから、結果論で言うと大事なのは編集者との人間関係だよ。 昔の編集者ともの書きの関係は、もっと濃密だったよな、 原稿もいちいち取りに来させて、そのまま飲みに行ったりしてさ。 原稿料も昔は出版社に取りに行ってたんだよ。 小学館と集英社は5日で、講談社と秋田書店は17日で。 それはみんな小切手だから銀行で現金にして、 編集者呼び出して一晩で飲んじゃってさ(笑)。 (後略) ========== 真樹先生からすると、原稿を宅急便で返却するような編集さんは問題外なんでしょうね。
by herolynQ
| 2008-07-01 10:11
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